はじめに

風水思想によって造られた平安京。京都は、その風水思想が色濃く残る街です。そこに建てられた寺社は、風水思想にのっとって建てられています。神々の山や磐座、ご神木など自然物、そして寺社を探究し、風水や陰陽道とは何なのかをこのブログで紹介できればと考えています。また風水思想や陰陽思想から京都の寺社、聖地、磐座を巡るというテーマで京都を紹介していこうとと考えています。

お知らせ

 ブログ『平安京 神と社』は、更新を終了予定でしたが、多方面からのご意見により再度更新することとなりました。今後とも宜しくお願いします。

走馬の儀

葵祭 馬
 葵祭の前身である賀茂祭の起源について、『賀茂縁起』という文献によれば、馬に鈴を懸け、人は猪頭をかむり駆馳して盛大に祭りを行わせたと書かれている。そして、葵祭に先立って行われた御蔭祭では、午の刻に荒御魂をお迎えし、馬に乗せ、神馬の前で舞を舞うのである。写真は、下鴨神社での走馬の儀。勇壮な儀式を一目見ようと多くの人々が集まることには、昔も今も同じである。

あずまあそび

東遊
 御蔭祭での切芝神事のクライマックスは、荒御魂が載られた神馬の前で行われる東遊、あずまあそびという舞の披露である。六人の舞人が、古代歌謡の唱和にのせておごそかに舞う儀式である。その舞が始まると、あたりは一瞬にして神々の世界へと変化する。

糺の森 切芝神事の地

糺の森 切芝神事
 御蔭山から下鴨神社御本宮の和御魂と御一体となるため、糺の森に入られた荒御魂は、森の中央に位置する切芝の地に迎えられる。そこで、六人の舞人による東遊と呼ばれる舞が行われる。その後、御本宮へと向かわれるのである。古代から祭祀場とされてきたこの切芝の地は、まさに森の中にある聖なる地である。

御生神事

御蔭祭
 葵祭に先立って、下鴨神社のご神体山である御蔭山山麓の御蔭神社において行われるのが、御蔭祭の御蔭山の儀と御生神事である。荒御魂をお迎えする神事で、太陽の南中する午の刻を期して、ご降臨を請うのである。その後、赤の宮を経て下鴨神社へと荒御魂は向かわれるのである。

斎王が発った地

七野神社 
 櫟谷七野神社は、賀茂社に奉仕する斎院が精進潔斎する常の御所があった場所である。現在、葵祭で復活した斎王代の前身である斎王の行列は、ここから出発したといわれる。現在は住宅街の中に建ち、往時の面影はないが、当時は多くの人々がきっと、その華麗な出発を見送ったに違いない。

衣笠山

衣笠山
 妙心寺から円錐形のご神体山のような山が見える。衣笠山である。宇多天皇が、夏に白絹をかけて、雪山に擬したその風景を楽しんだという伝説から衣笠山と呼ばれる優美な山である。その山麓には多くの天皇陵や世界遺産龍安寺があり、また山頂には磐座とも考えられる岩がある聖なる山である。

左右対称

建仁寺 道
 禅寺の境内は、整然としていて気持ちがいい空間である。他の寺院に比べ、神社の境内の空気に近いのは、その左右対称からくる受ける感覚なのだろうか。平安京も左右対称に造られた都市であったが、その左右対称が人々に何らかの影響を与えることがわかったからこそ、そのようになったに違いない。

ブログの紹介

風水思想によって造られた平安京。京都は、その風水思想が色濃く残る街です。そこに建てられた寺社は、風水思想にのっとって建てられています。神々の山や磐座、ご神木など自然物、そして寺社を探究し、風水や陰陽道とは何なのかをこのブログで紹介できればと考えています。また風水思想や陰陽思想から京都の寺社、聖地、磐座を巡るというテーマで京都を紹介していこうとと考えています。

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気の流れる川

鴨川 青龍
 中国の風水学には、龍脈と龍穴という言葉がよく出てくる。気の流れが龍脈で、気が集中する地点が龍穴である。そして、この気というものは目には見えないが、風と水に影響されるという。京都で青龍と呼ばれる水の流れがある。その水の流れは鴨川である。ゆっくりと流れるこの鴨川には、莫大な気のエネルギーがあるに違いない。

月光稲荷

月光稲荷
 太陽に対して月は静かなイメージがある。太陽が光り輝き元気を与えるイメージに対して、月は癒しのイメージだ。京都では、この月を祀る神社としては松尾の月読神社が有名だが、写真の月光稲荷も知る人ぞ知るお社である。JR二条駅裏の街なかに佇む、庶民に信仰されているお稲荷さんである。

地理風水

山からの風水
 古来よりその位置が変わらないのが、山です。そして、その山から生まれる川の流れつまり水の流れを押さえ、そして大地の気の流れつまり風を感じ、清々しい気持ちになれる地を見つける学問が風水です。特に、その風水を山や川の地理を重要視することから地理風水と呼びます。平安京があった京都は、まさにその地理風水の具体的事例が残る場所なのです。

神々の剣鉾

剣鉾
 平安時代に祇園御霊会が始まった時、神泉苑に六十六本の剣鉾が建てられ疫病退散の祈願が行われたとされる話はよく知られている。その剣鉾は悪霊を鎮める祭祀の為の道具であった。この銅鉾の原型は、古代の銅剣や銅鉾といった武器ではないかと思われる。つまり、悪霊に対し、戦うという意思を形にしたものではないだろうかと思う。
 

岩の聖地

出雲大神宮 磐座
 亀岡の出雲大神宮は、岩の聖地である。境内には、岩が多数祀られている。いわゆる磐座である。古代の神社形式というのは、ご神体山となる山があり、そして神々が里へと来られる場所として磐座が設けられた。これが神社の原型であり、ここで祭祀が行われたのである。さすがは、元出雲、これらの岩は、国譲りの目撃者だったのであろうか。

丹波 赤き湖の地

丹波
 丹は、あか(赤・朱)で、波は波立つ、水が沸き流れるを表す。つまり、丹波という地名の意味は、赤い波をうっている湖があったを意味するとされる。その丹波の国を最初に支配したとされるのが、古代出雲一族。国譲りする前に、この丹波の地を闊歩していたのである。写真は、その元出雲の地、出雲大神宮の池。まさに、丹波は赤き湖の地であったということを思い起こさせる風景である。

元出雲の地

元出雲 御影山
京都亀岡にある出雲大神宮がある地は元出雲と呼ばれ、いわゆる国譲り前の出雲の地であった。つまり古代氏族の雄、出雲氏が活躍していた地であった。そして、お社の背後にそびえるご神体山は御影山と呼ばれ、まさに聖地にふさわしい非常に秀麗な山容である。その聖なる山から霊泉である真名井の水が湧き出す。

御蔭山

御蔭山
 下鴨神社のご神体山である、御蔭山。葵祭に先立つ御蔭祭が行われる御蔭神社の背後にある山で、下鴨神社のご祭神、玉依姫が上賀茂神社のご祭神、賀茂別雷命をお産みになったとされる地にそびえる。江戸時代に崩落し、その山容は変化しているが、上賀茂の神山に匹敵する秀麗な山であったに違いない。

岩倉の門跡寺院

岩倉実相院
 天台宗の寺院には、門跡寺院という寺格を持つ寺院があった。写真の岩倉実相院は、滋賀県の三井寺(園城寺)を拠点とした寺門派の門跡寺院である。床緑や床紅葉で近年、観光寺院として有名であるが、鎌倉時代初期から続く歴史的由緒ある門跡寺院である。応仁の乱後、岩倉の地へ移り江戸時代に現在の姿へとなった。比叡山を眺めることができる景勝の地にある門跡寺院である。

役行者 生誕の地

御所市 吉祥草寺
 聖なる山で修行し、神の力を得ようとする修験道、その開祖とされるのが役行者こと役小角である。葛城鴨氏ゆかりの人物で、多くの伝説を残している。祇園祭の役行者山などで親しまれているように、京都にも彼の痕跡が多くあり、後の山岳仏教などに多くの影響を与えたことはよく知られている。写真は奈良県御所市茅原の吉祥草寺。役小角の生誕地に創建された寺である。

叡山の山麓 湖西の地

琵琶湖からの比叡山
比叡山は、琵琶湖から眺めるのが古代では普通であったという。確かに、琵琶湖の湖岸から眺める比叡山は、京都から眺める姿とは全く異なって、太陽が沈む聖なる山であることがわかる。そして、その山麓や湖岸に残る渡来人たちの名前をもとにした地名を考えると、古代の湖西地方は、人々で賑わい、栄えていたことが理解できる。この地域にも今後は目を向けていこうと思う。

聖地巡礼

清水寺 南から
聖地を巡る旅が流行っているそうである。日本の歴史上でも、聖地を巡るいわゆる巡礼は、社会が不安になればなるほど何度も流行した。百年に一度といわれる現在の経済危機、まさに社会不安で人々の心が弱くなり、巡礼で癒しを求めているに違いない。写真の清水寺、西国三十三箇所観音霊場第十六番札所である。まさに、人々の心を癒す聖なる地に建つ寺である。

土地を鎮める神

赤山大明神
平安の都を鬼から守る方除の神として信仰される赤山大明神。冥府の神である泰山府君を祀る陰陽道の聖地としても知られる。この赤山大明神、赤山禅院は、京都の活断層として有名な花折断層の上にある社寺の一つであると、京都魔界巡礼(丘真奈美著)に書かれている。これは、非常に興味深く、何故ここに建てられているかの一つの答えであると思う。

雪の高野川

雪の高野川
高野川のイメージは、陰のイメージである。雪が積もった河川敷の雰囲気が、そのまま高野川のイメージである。陰のイメージがあるのは、その川沿いに早良親王を祀る崇道神社があり、鬼門の方角を横切って流れるからだろうか。あるいは、暴れ川として多くの人々や民家を呑み込んできたからだろうか。

天神

北白川天神
 スクナヒコを祀り天使社と称される京都の社に、五条天神宮と、この北白川天神宮がある。北白川天神宮は、もとは久保田の森と呼ばれる森に祀られていたが、八代将軍足利義政が現在の地に移した。平安遷都以前に創建された古社で天神と表記されるが、菅原道真公とは関係ない。従って、天神をてんしんと読む。
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プロフィール

浜田浩太郎

Author:浜田浩太郎
1961年生まれ 京都生まれの京都育ち 古代に愛宕郡と呼ばれた地、左京区で育つ。立命館大学出身 京都観光・文化検定1級 京都産業大学日本文化研究所 特別客員研究員 NHK文化センター 歴史講座講師 国英専門教室 ことのは塾主宰

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